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Descriptive text

ダヴ・コテージ

「...そは、かつて鳩(ダヴ)の宿りしオリーブの枝*。
されど、今や、独り詩人が佇むばかり。
水もて喉を潤すわびしき吟遊詩人なれど、...」

*「ダヴ・アンド・オリーブという旅籠の看板がかけられたところ」という意味合いも含んだ、英国詩の才知にたけた言葉遊びとなっています。

ダヴ・コテージは、1799年12月から1808年5月までのあいだ、ウィリアム・ワーズワースが過ごした邸宅です。それは、詩人がもっとも優れた作品を多く遺した期間に相当します。

多くの歴史建造物がそうであるように、ダヴ・コテージも、その初期の歴史をたどることは容易ではありません。竣工日の記録がないものの、ダヴ・コテージが建造されたのは、おそらく17世紀初期であろうと考えられています。また、建造当時の用途も知られていませんが、18世紀後半にはダヴ・アンド・オリーブ(Dove and Olive)という名の旅籠として使われていたことがわかっています。その白塗りの壁や石畳の床、ダークウッドの羽目板など、ダヴ・コテージのもつ特色の多くはこの時代の造作です。ところが、1790年代初頭、旅籠ダヴ・アンド・オリーブは閉鎖してしまいます。その後、数年は空き家となっていたようですが、そこへウィリアム・ワーズワースと妹ドロシーが移り住んでくるのです。1799年12月20日のことでした。

建物がパブだった頃は、1階の寝室は酒場として使用されていましたが、ワーズワース家では、つねに寝室として使っていました。最初は、ドロシーの寝室でした。ここでドロシーは、「グラスミア日誌」の多くをしたためることになります。それから、1802年の夏には兄ウィリアムの寝室となりました。その10月に、メアリー・ハッチンソンとの結婚を控えていたからです。今もこの部屋にそなわる洗面台はウィリアムとメアリーのものですが、ふたつの洗面台が設けられた珍しい事例として知られています。

ウィリアムとドロシーが引っ越してきたとき、2階の寝室は居間として使用することにしたようです。そこは、階下のダークウッドの羽目板でおおわれた部屋とは異なって明るく、読書や書き物をしたり、来訪客をもてなしたりするのに格好の場所でした。そこには、1805年にウォルター・スコット卿、1807年にはトマス・ド・クインシーが訪ねており、ワーズワース家にとっては最も親しい友人のひとりであり、常連客でもあったサミュエル・テイラー・コールリッジもしばしば来訪しています。また、見晴らしもすこぶる良好で、当時は通りの向かいに建物がなく、しかもその道は湖水地方を抜ける主要道路でしたから、グラスミア湖や丘を一望のもとにできたのです。

ワーズワース家の後を継いでこのコテージに移り住んだのは、彼らの若き友であるトマス・ド・クインシーでした。彼は、後に『阿片服用者の告白』を著して、広くその名を知られるようになります。その後、1836年から1890年にかけていろいろと賃借人が入れ替わりましたが、ストップフォード・ブルック牧師(1832 - 1916)により創設されるトラストがコテージを買い上げ、1891年には一般公開されるに至っています。

ダヴ・コテージを一般公開するに際して、最初の理事会に提案した要綱で、1890年にストップフォード牧師は次のように書いています。

われわれの愛する詩において、これほど多くの思索と記憶をとどめる場所はありません。少なくとも、かの詩人と数多の詩とをかように親しく結ぶ場所など、他所に求めるべくもないのです。...このつましい家屋の隅々に至るまで、妹や妻と暮らしたワーズワースの営みが染みわたり、コールリッジと交わした数々の談話がこだましているのですから。しかも、その遺産はほとんど手つかずのままなのです。今こそ、これを大切に保護すべく努めようではありませんか。...世界中で英国詩を愛するすべての人々の、絶えることのない遺産として。

現在、一級重要文化財に指定されるダヴ・コテージは、年間70,000人もの来訪者を迎えています。そのすべての人々に、当該建造物とワーズワース家についての逸話を伝えるガイド・ツアーをご用意しています。また、コテージ内はワーズワース家ゆかりの調度品や他の所有物、肖像画などが展示されています。さらに、ウィリアム・ワーズワースが妹ドロシーとともに地元で調達した植物や素材を用いて造り上げた庭園は、ワーズワース自身が"敷地内にある小さな丘"にたとえたように、半ば自然の状態に保たれており、天候の許す限り一般公開されています。